パンとサーカス

首都ローマの人口は約100万人で、近代以前の世界では群を抜いていた。
属州から多くの物資が流入し、富裕者は贅を尽くした生活を送っていた。大衆も皇帝からの施しで”食糧”や”娯楽”を得た。これが「パンとサーカス」と言われるものである。

穀物の無償配給や、年135日にも及んだ戦車競技や剣闘士の戦いなどの見せ物を無料で皇帝は主催した。このような施しはただ民衆の人気を得るためだけではなく、ローマ帝国の支配構造を考えるうえで重要な機能を果たしたと考えられている。
それは支配者としての権威を認めさせるためには必要な振る舞いであり、とりわけ支配の頂点に立つ皇帝に求められたものであった。

そして、帝国内の各地においても皇帝を真似て、有力者がこの施しをすることで権力維持に努めたため、「パンとサーカス」は帝国全域で行われることになつた。
壮大な競技場や劇場跡がローマ帝国の隅々に残っているのはそのためである。
同時に、都市の施設、彫像や凱旋門などのモニュメントも首都ローマのコピーを現地の有力者が自らの出費で積極的に設置した。遠くローマから離れた属州でも「ローマ」の存在を感じることになり、これも属州を統治するに当って重要なことであった。

また、ガリヤ等属州の都市に於けるローマ的な教養を得るための教育も有力者の子弟を中心に行われ、これが、西洋文明の基礎を形作り広げることにもなった。

今日我々が熱狂するプロ野球やサッカー競技などの各種イベントのオリジナルは、古代ローマにその源を持つものである。