古代口ーマ以前

古代ローマの建国は紀元前600年頃とされているが、建国当初のその勢力地域はローマとその周辺のこく狭い地域に過ぎない。イタリア半島の南部とシチリア島の沿岸部の多くの港は、ギリシャ人が前8世紀頃から植民し、地中海の交易を活発に行っていた。半島中部はエトルリア人が輝かしい文明を築いていた。エトルリア人の起源は今なお謎に包まれているが、歴史の父へロドトスは、紀元前10世紀頃小アジアから海路移住して来た民と記している。初期のローマ人は非常に多くのことをエトルリア人から学び取った。

エトルリア文明とペルージャ

 

*古代ローマ1000年の歴史を大ざっぱに時代分けすると次のようになる。

 

勃興期

建国(前600年頃)から、イタリア半島の中部、南部の統一(前270年)まで。

初めは王政だったが前509年に共和制に変わった。 初期のローマ人は3部族(トリプス)に分かれ、各部族は、10クリア(独立の集落で、固有の領域・祭祀と指導者とを持つ)に分かれていた。このクリアの長老が集まって出来たのがローマを特長づける「元老院」である。所謂、貴族の最上層部である。
貴族階級の下に平民と言われる階級があり、その関係は親分(パトロヌス)・子分(クリエンテス)の関係と捉えてほぼ間違いない。戦いによって征服した民族を奴隷として取扱っていたから、ローマ社会は、貴族、平民、奴隷で構成された階級社会であった。

サビーニの女たちの強奪

 

海外発展期

シチリア島出兵から西地中海の制覇、カルタゴ滅亡、ギリシア本土の制覇 (前146年) まで。

ほぼ1世紀間に渡るポエニ戦争では、名将ハンニバルに苦戦をしながらも、徐々に軍事力を強化したローマは、カルタゴに勝利する。その後、ギリシャを初めとして周辺国を撃破する。カルタゴとギリシャに握られていた地中海の制海権をも獲得し、名実共に地中海世界を制覇する。
国内にあっては、先進のギリシャ文化を消化・吸収して、ローマ文化が形成されていくが、貴族と平民に間の貧富の差が広がり対立が激しさを増し、平民が次第に権利を広げていく時代でもあった。

奴隷と市民権

 

有力者独裁への移行期

マリウス、スッラ、ボンペイウス、カエサル(シーザー)などに代表されるように、軍隊が有力者の私兵と化し、共和制は名のみとなって、軍隊を背景にした有力者の独裁に移る時代。

古代ローマの共和制は、貴族が構成する元老院によって動かされていたから、貴族の利益が常に優先される。従って、貴族の横暴を抑え平民の不満の解消が政治の重要な要点となって行く。軍事立国の古代ローマの性格から、軍隊を背景とした有力者が、元老院を抑えて独裁へ移行していくのは時代の要請であったとも言える。
この間、広大な地域がローマの領土となる。新しい領土の統治は貴族が当るから、貴族の富は益々増大し、平民との格差は広がり続ける。

カエサルのガリア支配

 

帝政期

前27年にカエサルの養子オクタヴィアヌスが元老院よりアウグストゥスの称号を贈られてから、476年に西ローマが滅亡するまで。

このうち1〜2世紀は、「ローマの平和(Pax Romana)」と言われる、ローマ帝国の全盛期である。
アウグストゥスの死後皇帝位はその家系が継いだがネロ帝で断絶。その後、後継者争いの後に、ネルヴァが皇帝となった。五賢帝の最初である。帝位を元老院議員の優秀なものを指名した五賢帝時代は最も繁栄した。
次のトラヤヌス時代には最大領土となり以後ハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アントニウス・アルレリウスと皇帝になった。ハドリアヌスは文武に優れた哲人皇帝(ストア派)としても知られる。
その後帝位は世襲にもどる。カラカラ帝時代には帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられローマは名実ともに世界帝国となった。

パンとサーカス&ローマ人の美食

しかし、3世紀に入ると、帝国北方のゲルマン部族との戦い、帝国東方のペルシャとの戦いに始まり、中央の統制が大きく揺らいだ。帝国各地の軍隊を背景とした司令官を皇帝に即位させる時代が始まる。軍人皇帝が乱立しローマは乱れ、帝国領を2分しそれぞれ正帝と副帝によって治める4分統治体制をとる。実質的首都機能はミラノが果たしていたが、衰退は目を覆うばかりであった。
4世紀末からローマ帝国は一層衰え、ゲルマン諸部族の侵入が激しさを増し、西ゴート、ヴァンダル等ゲルマン人の占領、劫掠がイタリア各地で行われた。
395年、帝国は東西に分裂。コンスタンチノープルに都を移した東ローマは、専制君主体制を固め、1453年まで生き長らえたが、西ローマはゲルマン人の侵入に抗しきれず、476年に消滅した。

キリスト教&ローマを支えたゲルマン出身者