ワインの起源とワイン文化

文明の歴史を遡れば、葡萄とワインは常に存在し、神話と分かちがたく混じり合っている。 神話はそれぞれの民族の遠い過去の出来事に起因しているものだから、ワインの起源が相当古いことは想像に難くない。

考古学的見地では、まずコーカサス山脈の南の地で(ウィティス・ヴィニフェラ種−栽培品種の発見)、次いでメソポタミアで始まったとされている。
エジプトでは、紀元前3000年頃から葡萄を栽培していた事は明らかで、葡萄を収穫し運び搾る様子が石室墳墓に描かれている。ツタンカーメンの時代(前14世紀)のワインの甕には、葡萄の種類、産地、収穫年、畑の持ち主名、醸造者さえも記されている。
庶民はビールを飲んでいたが、王や貴族は、各地のワインの銘酒を揃えていた。

ワインの神ディオニュソスを愛し崇めた古代ギリシャ人は、シチリア島やイタリア半島南部に葡萄を移植した。古代ローマ人は当然のことながらギリシャ人から葡萄栽培を教わり、ガリア人に伝え、全ヨーロッパに広めた。

古代ギリシャ

ギリシャ人が、ディオニュソスに捧げた典型的な習慣に「シュンポシオン」、つまり、「共に酒を飲む集い」がある。現在の「シンポジューム」の語源である。
古代ギリシャ市民はそこで共に楽しみ、連帯を表明した。料理を食べるいわゆる夕食の後に「シュンポシオン」は始まり、ワインの杯を傾けた。それは共に飲むだけでなく、高尚な哲学から日常雑事の問題まで、ありとあらゆる話題を取り上げて語り合う場で、種々の余興も行なわれた。客を楽しませ、渇きを癒やし、会話を盛り上げるのが主人たる老の務めでもあった。通常ワインは水で薄めて飲み、酔っ払うのを嫌った。

何事にも厳格なプラトンは言う、
「よい家柄の教養ある男子が「シュンボシオン」に集まれば、フルート吹きやハープ弾きの女の姿は見られない。そんなくだらない子供じみたことなどせずに、自分たちが話したり開いたりする声で十分楽しめるし、たくさんワインを飲んでも常に礼儀を失わずにいることができるのである」と。

また、ソクラテスはワインについて次のように語っている。
「ワインは気持を和らげ、心に潤いを与えてくれる。そして心配事を静め、休息を与え・・・・・われらの喜びを甦らせ、消えゆく命の炎に油を注いでくれるものである。適量を一度に少しずつ飲むなら、ワインはこのうえなく甘美な朝露のように、われらの肺に滴り落ちる・・・・。そのときこそ、ワインは理性に何ら害を与えず、快い歓喜の世界に気持よくわれらを誘ってくれるのである」

ギリシャは地中海の海上交易で富栄えた国である。当然ワインも重要な交易品であったが、洗練された文化を持った国でもあったから、その「ワイン文化」も、同時に地中海の主要な港町には伝えられた。

*ディオニュソス(Dionysos)

ディオニュソス

本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していた。
始めは、この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制に睨まれていたが、民衆に徐々に受け入れられ、最終的にはギリシャの神々の列に加えられた。ギリシャでは圧倒的に人気のある神であった。
めぐる季節の中で、命を絶やさぬ植物の化身で、頭に松笠を付け、葡萄の葉で飾った竿杖(テュルソス)を持つ。これは枯れてはまた蘇る自然の象徴で、生きる喜びを称揚し、「永遠に蘇る」神とされた。ギリシャ悲劇は、ディオニュソスの祭りに捧げられたのが始まりである。
ローマでは「バッカス」と呼ばれ、また豊穣神リベルと同一視された。
後世、キリスト教一色に塗られたヨーロッパでも、時には形を変え、葡萄栽培地には色濃くディオニュソスは残っている。今日でも、陶酔・激情的芸術を象徴する神として、アポロンと対照的な存在と考え、思想や文学の領域で広く知られている。

古代ローマ

建国当初のローマは、ワイン文化圏に属していなかった。初代の王ロムルスはワインではなくミルクを神に捧げた。
真面目で質素と節度を重んじた初期ローマ人は、ワインを飲むについても節制を旨とした。ワインは30歳にならなければ飲めず、婦人がこれを飲むのは厳禁だった。婦人がワインの匂いをさせていないかどうかを、家長が確かめたのが接吻の始まりと言われている。(婦人は宗教的儀式への参加も許されていない「男社会」のローマだから、ワインが禁じられるのは当然とも言えるが・・・・)

こうした節約を旨としたローマ人も、ポエニ戦争に勝利し、地中海世界を制覇する頃になると、ワインへの態度を変えさせる。平和と豊かさがワインをはじめとする贅沢品の市場がもたらされたらである。
バッカスの盛儀・功績に、そのほとんどの作品を捧げた詩人ホラティウス(前65〜8年)は、当時のワインの銘酒を讃えた。
高度に洗練されたギリシャ文化の影響を強く受けたローマであるから、ワインに於いても、ギリシャのワイン、特にメテュムナ(レスボス島)産のワインやキオス島のものが「神酒」とも言える最高のワインであった。しかし、イタリア半島にも銘酒が生まれ、人気を博していた。この詩人が謳いあげたのは、
「血気盛んな」と言う「ファレルヌム」(カンパーニア地方のファレルヌス産)
「うさを晴らしてくれる」と言う「マッシクム」(カンパーニア地方のマッシクス山麓産)
イタリア半島随一の銘酒とされたのは、年代物の「カエクブス」(ラティウム地方のカエクブス産)であった。これらは総て甘口ワインである。

ローマの上流階級では、ワインは、「ギリシャ式」の儀礼(シュンボシオン)に則って飲む事が正式とされていたが、贅を尽くしたものになっていくのは世の習いであった。
金持ちは、自分の家にワイン貯蔵庫を持ち、当時の銘酒を貯蔵して楽しんでいたが、庶民は、ワイン商か、町に数ある居酒屋(タベルナ、ウィナリア、テルモポリウム等と呼ばれていた)のお世話になった。テルモポリウムと呼ばれるワイン酒場は、ギリシア語起源の酒場の名前であるが、アテネでは女性を相手にワインを飲める場所を指した。つまり、れっきとしたギリシャ市民が出入りする場所ではなかった。ローマでも、テルモポリウムには、いかがわしい手合いがたむろし、売春と賭博がはびこっていた。

ポンペイ…古代ローマノボルドー