エミリア・ロマーニャ州ワインMap Lambrusco
Romagna
Colli Bolognesi 他DOC

エミリア・ロマーニヤ州

は、北のポー河と南のアペニン山脈に挟まれて東西に長く横たわっている。
州の中央を東西にエミリア街道が貫き、ローマ時代から交通の要衝として栄え発展した。
西の中心地ラヴェンナは、ローマ帝国衰退期には脚光を浴び、東ローマ帝国(ビザンチン)の支配下に入つてからも、その総督府として、行政、芸術(ビザンチン文化)の中心地として栄えた。
中世には、この街道沿いに位置するボローニャやパルマなどの諸都市が自治都市として繁栄し、やがてこの自治都市は、ポローニャのペンティヴォリオ家、フェッラーラのエステ家、パルマのファルネーゼ家など、有力な貴族が支配する都市国家を形成。芸術家を擁護する宮廷文化が花開き、小説家、詩人、画家がこの地に集また。こうして育まれた文化遺産がこの地域の都市に輝きを与え、現在、人気の観光地となっている。

今日では、ポー川による潅漑に恵まれた有数の穀倉地帯で、コムギ、トウモロコシ、野菜の栽培をはじめとする農業や有名なパルマの生ハムやパルメザンチーズに代表される酪農製品の生産地として名を馳せている。
工業面でも、機械工業や食品産業、陶器、衣料産業などが盛んである。州都はボローニャ。

葡萄栽培地は、ランブルスコで代表される北側の「エミリア地方」と、ローマ教皇の領土であったから、「ロマーニャ」と名付けられた南側の「ロマーニャ地方」のアペニン山脈沿いの丘陵地帯に大きく分けられるが、ここでは、産出するワインの詳細は、以下の3つにページ分けした。
最上部のメニューないし地図上からも辿れます。

*2011年、<Colli Bolognesi Classico Pignoletto(コッリ・ボロニェージ・クラッシッコ・ピニョレット)>が、DOCGの昇格した。表記は同じ。

 

ポローニャ(Bologna)


イタリアでも最高の料理を味わえることで知られるポローニャは「ラ・クラッサ(脂肪の町)」と呼ばれる一方、ヨーロッパ有数の古い歴史をもつ大学があることから「ラ・ドック(学問の町)」という愛称でも知られる。中世のたたずまいを残す旧市街には、レンガ造りのアーケードや塔、教会、宮殿が所狭しと立ち並び、すばらしい博物館がある。またポローニャは、お祭りや演劇、音楽、夏の催し物が盛んな文化的エネルギーにあふれる町でもある。

パルマ(Parma)


ボローニャ、パルマ、フェッラーラ、、ラヴェンナ
北イタリアの町で、パルマほど豊かで、暮らしを洗練させることに熱心な町はない。
パルマ八ムやパルメザンチーズなど、食べ物の代名詞にもなっているこの町は、落ちついた雰囲気のカフェや最高級のレストランが並ぶ優雅で上品な町だ。
スタンダールの「パルムの僧院」の舞台でもあるこの町の、中世の広場を見て回りながら、イタリアの最高級の食事と買い物を楽しみたいものです。

フェッラーラ(Ferrara)


フェッラーラは、有名な観光地から遠く離れたエミリア平原に、取り残されたように眠る静かな中世の町だ。この町に残る遺産の多くは、エステ家という一族がもたらしたものだ。この町を統治した1208~1598年の間、エステ家は域や宮殿、堂々たる城壁など不朽の遺産を残した。

ラヴェンナ(Ravenna)


ラヴェンナは、西ヨーロッパで最も美しいビザンチン様式と初期キリスト教時代のモザイクが残っている町である。401年、ローマが弱体化すると、ローマ帝国の都がこの地に移される。
港はこの町と世界を結ぶ物資補給ルートになり、また周囲の沼地は蛮族の攻撃から町を守る砦となった。帝国崩壊後も、ラヴェンナの町は繁栄を続け、493年には東コート族の王・テオドリクスがこの町からイタリアほぼ全域を掌握した。さらに、540年以降はビザンチン帝国のエスティニアヌス1世が支配者となった。どちらの王も教会など宗教上の建造物に華麗な装飾を残している。フィレンツェを追放されにダンテはこのラヴェンナで客死している。